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オゴデイ(Ögödei、Ögedei、20px)はモンゴル帝国の第2代モンゴル帝国皇帝(カアン、大ハーン)。モンゴル帝国の君主で初めて自らの君主号をカンに代えてカアン(Qa'an<Qaγan)と名乗った人物と考えられている。 漢語表記では窩闊台、月闕台など。資料によっては、哈罕皇帝/合罕皇帝(カアン皇帝)とも書かれる(後述)。モンゴル帝国時代のウイグル文字モンゴル語文や前近代の古典モンゴル語文では 'WYK'D'Y Q'Q'N/Ögedei Qaγan、パスパ文字モンゴル語文では "ö-kˋö-däḙ q·a-n/Öködeï Qa'an 。ペルシア語表記では『集史』などでは اوگتاى قاآن Ūgtāy Qā'ān 、『五族譜』では اوُكَدى خان Ūkaday Khān などと綴られる。オゴタイ、エゲデイ は俗称。元朝によって贈られた諡は英文皇帝、廟号は太宗〔『元史』巻七十四 祭祀志上 序言 によると、クビライの至元元年十月(1264年10月22日 - 11月20日)、大都の太廟に「七室之制」が定められた時、イェスゲイ、ホエルン以降のチンギス・カンをはじめとするモンゴル皇帝、王族、皇后妃に対して尊諡廟號が追贈され、オゴデイにも「英文皇帝」の諡と「太宗」の廟号が設けられた。〕。 チンギス・カンの三男。母はボルテ。ジョチ、チャガタイの弟、トルイの兄。 == 生涯 == === 即位以前 === 父・チンギスに従ってモンゴル統一や金遠征、大西征に従った。特に大西征においてはホラズム・シャー朝の討伐で戦功を挙げ、その功績によりナイマン部の所領を与えられた(オゴデイ・ウルス)。オゴデイにはジョチとチャガタイという2人の有能な兄がいたが、ジョチは出生疑惑をめぐるチャガダイとの不和から、チャガタイは気性が激しすぎるところからチンギスから後継者として不適格と見なされていた。オゴデイは温厚で、一族の和をよくまとめる人物であったため、父から後継者として指名された。 1227年の父の死後、モンゴル内部では末子相続の慣習に従ってオゴデイの弟でチンギスの末子に当たるトルイを後継者に求める声があった。これは、慣習だけではなくトルイ自身が智勇兼備の名将であったうえ、周囲からの人望も厚かったこと、父時代に立てた多数の武勲などが要因であるが、トルイはこれを固辞してあくまで父の指名に従うと表明し、1229年9月13日のクリルタイでオゴデイはチャガタイやトルイの協力のもと、第2代モンゴル皇帝に即位することとなった。この時から「カアン」の称号が贈ら用いられることになったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オゴデイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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